評価眼を持つことの必要性について

 授業を見ていると、教師が学習者の学習状況をうまくつかめていない時があります。

「まだ課題の理解が浅いのに、授業を進めてしまっている」場合や「いい考えを持っている学習者が何人もいるのにうまく教室で共有できていない」場合など授業の流れをその場で作っていくためには、目の前の学習者の学習状況を逐一把握していかなければなりません。

 一方で授業の上手な先生は、広く、深く学習者を捉えています。授業の設計面での精度は言うまでもありませんが、それだけでは授業はできないのです。授業の中で学習を生み出していく、学習者の思考を誘発し、認識を変革していく。こういった教師が授業の中で見せる専門性の高いアクションの起点は必ず、「学習者を捉える」所にあります。

 

 下のスライドに示すように、普段の授業の中で、学習者の発言や文章をどのような意識で見たり聞いたり読んだりしているか、ということを思い出してみてください。表現された内容、つまり自分の欲しい答えが出てくるかどうかという意識だけで向き合っていないでしょうか。

 国語の教師に限らず、様々な教科において言語活動が取り入れられている現在の授業の中で、そうした学習を通して学習者の表現力やコミュニケーション能力を育てていかなければなりません。どうやって育てていくのか?

 

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 教師が日々の授業において、「わかりやすさ」を意識して、学習者の発言を聞いたり、書かれたものを読み取ったりしていれば、自然と「わかりやすい」表現をした学習者をほめるようになります。その際に、どうしてわかりやすいのか、どこがわかりやすいのか、どうすればわかりやすくなるのかといったことも、クラスで共有することができれば、学習者は自分が表現するときに「わかりやすいかどうか」という意識を持つようになります。また、どうすればわかりやすくなるのかという「方法知」を獲得していくことで、自分でわかりやすい表現ができるようになってきます。

 意識を持たせる+方法知を獲得させる

 観察眼といわれる学習者を見とる眼を獲得することで、学習者の言語能力を育てる学習場面をその場で生み出すことが可能となります。継続的に行うことで、学習者の表現や理解の際の意識として定着します。

 

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 上のスライドのように「わかりやすさ」のようにコミュニカティブな表現力を育成するだけではないですね。論理的でシャープな表現力の育成を目指す場合には、学習者の表現の問題点を捉える眼が必要となります。その場で見抜くことで、学習者その人の今の表現に対して指導が可能となります。この即時性が効果的な学習を生み出すのです。

 

 私なども自分の授業を振り返ってみると、忙しかったり、疲れていたりすると、多くの見逃しをしています。学習者の発言や表現に向き合う眼が働かず、適切な指導のチャンスを見逃してしまっていることに心を痛めます。

 

 本講座は、先生方の「評価眼」の育成をターゲットにした文章を綴ります。育てたい能力はいくつもあります。系統性もありますし、体系性もあります。学習者個人の能力に還元される場合だけでなく、学級集団の集団性に還元される場合もあります。集中力のあるクラスを作るためには、そのつもりで自分のクラスを見取り、必要に応じて介入しなければならないからです。

 こうした様々な学習の起点として、教師としての眼を多様で詳細に働かせるために必要なことをお話ししていければと思います。